明治時代 (前期) 元年〜十九年

鉄線花沈金 小ダンス 15.5cm×30cm×27.5cm

江戸末期〜明治初期の作品と思われる。
現代の丸ノミと違って三角ノミをを使って彫られている。
用途も作者も不明であるが、明治四十三年の大火の時
寺の焼け跡にあったと言われている。
[善竜寺の宝物に館専助(雅水)作の銘がある鉄線花沈金の
消息箱が同じ模様で彫られている]

歴史

徳川幕府が倒れて新しい人たちによる明治政府が出来ると、大名家や公家に
出入りして注文を戴いて仕事をしていた漆職人は、注文を出す支援者が
今で言う倒産と言うかたちで仕事がなくなりました。

明治 三、四年

日本各地が天候不順で米の凶作となり農家からの注文も無く、代金も支払って
もらえずで、江戸末期より大農家を相手に宗和本膳一式を売ってきた漆器業界は
大不況となり、そのため御当祭りや綱引き神事などお祭りを行なうことが出来ず
中止となりました。[鳳至町に残されている(証書記之変)によると金沢為替会社
より高四00石の引当を行い、一歩五厘の利定をもって十五万貫の借り入れを
行なって急場をしのいだのだがその利定を払うことが出来ず、町共有の田畑
町屋敷を売り払った]とされ、また困窮者続出のため町が粥の炊き出しを行なった
といわれています。
明治以降の輪島漆器の歴史は空前の大不況から始まったと言えます。